森のぐらさん

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ショパン「前奏曲集」から第4番ホ短調

F・ショパン
1810年3月1日 - 1849年10月17日
ということで今日は命日。39歳で夭折。没後168年。

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彼の生存していた時代は江戸時代だったのだ。

作曲家の遺作とは……。
「遺作」は、作曲者の最後の作品のみをいうのではなく、文筆作家の「絶筆」とは異なり、生前に作曲をしていても出版しなかった作品が死後に出版された場合の曲すべてを指す。

ショパンの遺作は締めて68曲もある。
 1849年10月17日に亡くなったショパンの場合、1829年に作曲した《ポロネーズ第16番 変ト長調》、1830年に作曲した《Lento con gran espressione 夜想曲 第20番 嬰ハ短調》《ワルツ 第14番 ホ短調》、1834年に作曲した《幻想即興曲》《前奏曲変イ長調》なども遺作とされる。

 《夜想曲 第20番》を聴けば、忍び寄る病魔に怯えかすかに死期を予感したかも知れない深い悲哀の境地で書いたのかと思わせる。が、20歳の曲だと知れば聴き方も変わってくる。

 ショパンは20歳代から結核に罹っていたが、特に死の10年前に療養でフランス人作家ジョルジュ・サンドと過ごしたマリョルカ(マジョルカ)島での冬は少しは癒やされたか。

10月17日の深夜12時過ぎ、医師がショパンの身体に乗りかかってひどく苦しいかと尋ねた。「もう何も感じない」とショパンは答えた。午前2時を回る少し前、ショパンはパリの地で息を引き取った。

葬儀は2週間後の10月30日に行われ「前奏曲集」から第4番ホ短調と第6番ロ短調(オルガンバージョン)がリストによって演奏された。



前奏曲4


前奏曲6
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森島洋一

北緯35度

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北緯35
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森島洋一

Chopin-Waltz in E flat major Op. 18

Georgijs Osokins
ゲオルギス・オソーキンス
1995年4月25日、 ラトビアのリガ出身

第17回国際ピアノコンクールのファイナリスト
ワルシャワのフライデリックショパン大学


Chopin-Waltz in E flat major Op. 18

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森島洋一

ショパン《マズルカ作品59-2》

Mazurka Op. 59 No.2 in A flat major
1845年のPiano曲。
ポロネーズと並ぶショパンの祖国の民族舞曲で、3拍子の舞曲ながら、1拍目は弱拍的。

Pf:Arthur Rubinstein

ゲオルギス・オソーキンス Georgijs Osokins


マズルカ1
マズルカ2
マズルカ3

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森島洋一

瀬田唐橋と俵藤太の百足退治伝説

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雲住寺

「俵藤太の百足退治伝説」で有名な藤原秀郷(通称:俵藤太)ゆかりの寺。
今から1100年余り前、応永15年10月14日に、藤原秀郷から14代目にあたる蒲生郡小御門城主であった蒲生高秀により、秀郷追善のために瀬田の唐橋のたもとに雲住寺を建立した。

当初は、天台宗であったが江戸時代初期に浄土宗に変わり現在に至る。

当山には、「俵藤太縁起(版木)」が残されており、「俵藤太の百足退治伝説」の物語が絵と共に彫られている。
「俵藤太の百足退治伝説」のオリジナル版として知られる。

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瀬田川縁の歩道には大百足がデザインされている。
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石山寺

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石山5
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